小田原うなぎは「友栄」だけじゃない|城下町に受け継がれる「楼」3軒と『うな前』文化

城下町であり、東海道の宿場であり、箱根への玄関口でもある関東最西端の街・小田原。ここには、他の街とは一線を画す個性的な鰻屋が集まっている。

「小田原のうなぎ」と聞けば、鰻好きならばまず「友栄」の名を思い浮かべるはずだ。全国から食通を引き寄せるあの味と接客は、たしかに素晴らしい。しかし、友栄だけを見て小田原のうなぎを語ってしまうのは、あまりにもったいない。街に足を踏み入れれば、友栄とはまったく異なる鰻文化が根を張っていることに気づかされる。

友栄以外にも、松琴楼清風楼鳥かつ楼柏又うな和相住食堂と、名店が軒を連ねているのが小田原である。

友栄の際立った知名度によって見過ごされがちだが、この街には異様な共通点がある。街の中心部に「楼」を冠する鰻屋が3軒も密集しているのだ。さらに範囲を広げれば、5軒の鰻屋が徒歩圏内に収まってしまう。これは全国的に見ても珍しい密度だといっていい。

この「楼」という一文字に象徴されるうなぎの街・小田原が、なぜ「うな前(鰻が焼き上がるまでの間、酒と肴で過ごす時間)」を楽しむのに最高の街なのか。今回はそれを紐解いていきたい。

小田原城

小田原の鰻屋=鰻が焼き上がるまで酒と肴で遊興する場所

小田原は、東海道の宿場町であり、城下町であり、さらには政財界人の保養地・花街(宮小路)としての顔も持つ、重層的な歴史を背負った街である。「楼」という屋号がこの地の鰻屋に根付いたのは、決して偶然ではない。

そもそも「楼」とは、二階建て以上の立派な建物、あるいは遊興・宴席を提供する格式高い店(料亭や割烹)を指す言葉だ。つまり「食事だけをして、すぐに席を立つ店」には本来つかない屋号である。

鰻の調理、とりわけ江戸前技法における「割き・串打ち・白焼き・蒸し・本焼き」には、相応の時間がかかる。この待ち時間の長さこそが、「楼」の存在意義と地続きになっている。客を苦痛なく、むしろ精神的な贅沢として待たせるためには、快適で非日常的な空間が不可欠だからだ。

つまり、小田原の鰻屋は「鰻が焼き上がるまで、酒と肴で遊興する場所」として発展してきた必然性がある。だからこそ、この街は「うな前」がもっとも似合う街なのだ。鰻を待つあいだ、それぞれの店がつくり出す空間そのものをぜひ味わってもらいたい。

全国でも稀有な「三つの楼」で嗜む、小田原流『うな前』の極意

「楼」を屋号に含む鰻屋自体は、全国を探せば散見される。しかし東京、千葉、埼玉、神奈川を見渡しても、この3店以外に「楼」を名乗る鰻屋は見当たらない。しかもその3軒がすべて徒歩圏内にあるというのは、極めて稀なケースだといえる。

「楼」と聞くと敷居が高く感じるかもしれないが、現在ではどの店も気軽に入ることができる。順に紹介していこう。

松琴楼——城下町の重鎮と「目方売り」の粋

江戸末期創業。小田原城のほど近く、お堀端通りに構える、古民家風の佇まいが印象的な一軒だ。
屋号は、京都・桂離宮にある格式高い茶亭「松琴亭」に由来するという。高い精神性と、わび・さびを体現した名である。とはいえ店構えは決して威圧的ではなく、むしろ開放的で入りやすい。

松琴楼で特筆すべきは、全国的にも珍しい鰻の「目方(グラム)売り」というメニューだろう。

うな重に添えられるお新香は、もともと江戸時代、鰻が焼き上がるのを待つ間の肴として出されていたのが始まりだという。松琴楼では、こちらから何も言わずとも、お新香と骨せんべいを先に出してくれる。まるで「お酒でも呑みながら待っていてくださいね」と言われているような、粋なもてなしである。

松琴楼

開放的な小上がりやテーブル席で、骨せんべいとお新香を相手に「瓶ビール一本!」とやるのが、松琴楼のもっとも似合う過ごし方だと思っている。
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清風楼——花街の面影と料亭割烹の優雅さ

文久2年(1862年)創業。旧花街「宮小路」に、今も料亭建築としての格式と情緒を残す店である。

かつての宮小路は、小田原屈指の歓楽街として隆盛を極めた花街だった。柳の木や灯籠が立ち並び、多数の料亭や旅館が軒を連ね、毎夜のように芸妓がお座敷を渡り歩き、三味線や太鼓の音が響いていたと伝えられている。今は落ち着いた商店街となっているが、清風楼の佇まいにはその年季がにじみ出ている。

割烹技術を活かした会席や小鉢の多彩さも見どころで、ブランド鰻「共水うなぎ」を扱っているのも清風楼の特徴だ。

清風楼

歴史を感じる静かな料亭で、隣町・足柄の銘酒「松みどり」を傾けながら、ほろ苦い肝焼きをつまむ。そして共水うなぎをいただく。これぞ大人の贅沢というものだろう。
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鳥かつ楼——隠れ家割烹が誇る「鳥と地魚」

青物町商店街にひっそりと佇む、静寂な割烹といった趣の店だ。創業は1963年(昭和38年)。

屋号に「鳥」を冠しているとおり、鳥料理と地魚の小鉢がとにかく豊富なのが特徴である。実は同店、創業当初の昭和中後期は、水炊き(鶏肉の鍋料理)を看板とする鶏料理専門店としてスタートしたのだという。そこから、より付加価値の高い、ハレの日需要に応える「鰻」と「割烹料理」へと業態の軸足を移していったと推察される。

政治家・文化人にも長く愛されてきた店で、店内には元首相をはじめとする著名人の色紙が飾られている。

そして何より印象的なのが、客が席に着くと、お茶の代わりに濃厚な「鶏スープ」が出てくることだ。これは単なるウェルカムドリンクではない。水炊き屋として創業した自らのルーツを示す、いわば象徴的な一杯である。鰻屋にもかかわらず鶏の出汁から食事が始まるという意外性には、思わずニヤリとしてしまう。「日本酒と合わせてみろ」と言われているような気さえしてくる。

鳥かつ楼

肝わさや肝煮など肴は豊富だが、私は鶏出汁のスープを肴に日本酒を合わせることをすすめたい。汁物を肴に日本酒を呑むという発想自体、あまりなじみがない人も多いだろう。だが日本酒はどんな出汁とも寄り添う懐の深さを持っている。鳥かつ楼の一杯は、その本来の楽しみ方を思い出させてくれる。
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柏又(かしまた)——あえて「楼」を名乗らない、政財界人に愛された静寂の館

明治3年創業。花街の華やかな「楼」とは一線を画す、別荘地のVIPがお忍びで通った静謐な歴史を持つ店だ。柏又は宮小路の一角にあり、小田原の花街の隆盛を支えた重要な料亭のひとつでもある。

芸妓を呼んでの宴会、政財界要人の密談、文人墨客の交流の場——柏又はそうした「総合的な文化サロン」として機能してきた。

建物は大正後期、関東大震災後に再建された、築100年を超える貴重な木造建築である。店内は一階のテーブル席と小上がり、二階の座敷(個室)という二層構造になっており、一階は丁寧な接客がありながらも、老舗の居酒屋のような大衆的で温かみのある雰囲気を醸し出している。

小田原は明治から昭和にかけて、多くの政財界人や文化人が別荘や住まいを構えた地である。柏又はそうした「小田原の旦那衆」や東京から訪れるエリート層の御用達として重用されてきた。店内には彼らが遺した直筆の書や絵画、骨董の数々が飾られており、食事を待つ間、客の目を楽しませてくれる。

屋号に「楼」の字こそつかないが、現代にもっとも「楼」の空気を色濃く残しているのは、実はこの柏又なのではないかと私は感じている

柏又

さすがは料亭、お通しがうまい。出汁の効いた筑前煮に、地元酒・丹沢山の生純米酒「秀峰」を合わせた瞬間は、忘れがたい体験だった。
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圧倒的知名度を誇る「友栄」は、小田原うなぎの「異端児」

創業は昭和53年(1978年)。18年後の平成8年(1996年)、現在の所在地である小田原市風祭へと移転し、屋号の読みを現在の「友栄(ともえい)」へと改めた。

「小田原のうなぎ=友栄」というイメージを抱いている人は多いだろう。実際、わざわざこの店のために足を運ぶ美食家は数知れず、関東最高峰の一角と言って差し支えない実力を持つ店である。

青うなぎや箱根の地下水、卓越した一品料理の数々については、すでに多くのグルメガイドで語り尽くされているため、ここでは詳細を割愛したい。

ただし、あえて言っておきたいことがある。友栄は、小田原城下町が百年かけて育んできた「うなぎ文化(酒と肴を嗜む情緒)」の系譜からは、実は外れた存在だということだ。「楼」の流れを汲む店々とは異なる文脈で、独自に頂点を極めた店。その意味で友栄は、小田原うなぎの「異端児」と呼ぶべき存在なのである。
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「楼」の対極にある、名店たちのもう一つの情緒

格式のある「楼」があるからこそ引き立つ、人情味あふれる「和」の空間や、ユニークな「食堂」の存在も見逃せない。

うな和——楼の緊張感を解きほぐす、昭和の温もりと日常

創業は昭和43年(1968年)。小田原市国府津(こうづ)から歩いて10分ほどの場所にある。

「うな和」という屋号には、「人が人を呼ぶ=『わ(輪・和)』になる」という願いが込められているという。ロゴマークも、鰻が円を描いて輪になったデザインで、「幸せの輪」ができることを祈念したものだそうだ。ホームページには、同店が大切にする社訓「よくばり(4つのくばり)」——目配り、気配り、耳配り、心配り——が掲げられている。

うな和では、ビールやワインに加えて、神奈川県下の地酒を積極的に推している。地元の名水で育まれた地酒と、長年愛されてきた鰻料理の組み合わせは、単なる味覚の調和にとどまらず、小田原という土地の風土や文化的背景そのものを体験させてくれる。

うな和

肴には、頭をやわらかく煮込んだ「かぶと煮」がおすすめだ。地元のお酒はラベルを見て直感で選ぶ、いわゆる「ジャケ買い」も、この店ならではの楽しみ方だと思う。
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相住食堂——昭和の空気を今に残す、大衆食堂の矜持

昭和6年(1931年)創業。
相住食堂が生まれたこの年は、大正デモクラシーを経て、都市部から地方へと「洋食」が一般大衆に浸透し始めた時代であった。鰻や天ぷらといった和食とともに、カレーライスやチキンライスといったハイカラな洋食を出すことは、当時の食堂にとって最先端のステータスだったという。その進取の気性は、今も相住食堂のメニューに色濃く残っている。

店名には「食堂」という大衆的な響きがあるが、メニューの主柱は明確に鰻料理に据えられており、多くの客が「うな重」を注文するという。それでいて、鰻以外の丼物においても競合他店を凌駕する評価を得ているのだから、実力は本物だ。

相住食堂

昭和食堂のようなレトロ感がたまらない店だ。こういう店では、銘柄の書かれていない冷酒か瓶ビールがよく似合う。「鳥わさ」はどちらにも合わせやすく、おすすめの一品である。カツ丼もまさに昭和のカツ丼といった趣で、これを味わってこそこの店の良さが深まる。
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昼・鰻、夜・海鮮。小田原日帰り旅のすすめ

小田原は、単に「鰻が美味しい街」ではない。気分や誰と行くかによって、「どの情緒(歴史や空間)でうな前を楽しむか」を選べる街なのだ。

「楼」の店で歴史情緒に浸るもよし、うな和で地酒を楽しむもよし、相住食堂で昭和レトロに浸るもよし、友栄での美食体験を誰かに自慢するもよし。

最後に、そんな小田原の楽しみ方を実際のプランとして紹介したい。お昼に鰻を食べ、午後は散策で腹ごなし、夕方には居酒屋で一杯やって帰路につく——そんな日帰りトリップだ。小田原ならば、20時まで飲んでも、その日のうちに余裕を持って都心まで帰宅できる

午後の腹ごなしには、小田原城、ういろう博物館、かまぼこ通り、御幸の浜あたりを巡るのがいい。歴史と海風を感じながら、鰻とお酒でほろ酔いになった体を醒ますのにちょうどいい距離感だ。小田原は「ういろう」とともに発展してきた街でもあるので、お土産にもぜひ。

夜の部の一部も紹介しておこう。
居酒屋 金時(食べログサイト):地魚を肴に、神奈川の銘酒「隆」の酒米違いを飲み比べる至福の時間を味わえる。
小田原おでん 本陣(食べログサイト):幅広い神奈川の地酒と、地魚の練り物おでんでほっこり締めることができる。

ぜひ有給を一日取って、平日の気軽な小トリップとして小田原を歩いてみてほしい。城下町が百年かけて育てた「うな前」の情緒が、きっと待っている。

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